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雑草とは -アトリエN- [アトリエN]

 聖書 創世記第一章には、神は人を創り、人のために植物や動物を創られたと書かれている。一神教であるキリスト教は砂漠で生まれた宗教だから、苛烈なところがあり、善と悪・敵と味方・有用か無用か・などを峻別しないではおかない。だから、ヒトのためにならない雑草は全く無意味な存在ということになる。すべては神が創ったとしながらも、ドクムギなどは夜中に悪魔が降りてきて畑に種を播くのだと、ご都合主義なところもある。
 日本人はそんな雑草にも価値を見出し、「あなたは雑草のような人だ」と言えば、ある意味で褒め言葉になるが、キリスト教文化の影響が色濃い欧米の人に向かってそんなことを言えば、相手は手ひどい侮辱としか受けとめないそうだ。
 『あなたは存在する価値のない人だ』と言っているに等しいからである。
 それはさておき、植物学のうえでは雑草というのは弱い存在とされている。
 光も水も養分もたっぷりとある土地には、いちはやく強い植物が繁茂し、いわゆる雑草の居場所はない。それゆえ、瓦礫だらけの痩せた土地や、雨の降らない砂漠や、小暗いじめじめした場所が雑草のすみかとなる。
 そんな不利な条件下で生きのびて、子孫を増やさざるをえない雑草たちは、さまざまに工夫をこらす。スミレは種子をエライオソームという甘いゼリー状の物質でくるみ、蟻に運ばせる。エライオソームを舐めつくした蟻はごみとなってしまった種子を巣の外に放り出し、そこが芽生えの場所となる。山野の花と思われがちなスミレだが、実は都会の舗道の割れ目や石垣の隙間などでよく見かけるのはその為である。
 車前草ともいわれるオオバコは、人や車の往来する道に葉を広げ、踏まれることによって靴やタイヤにくっついて分布を広げていく。
 ニホンタンポポはカヤや野菊のはびこる夏には地下でじっと身をひそめ、強力なライバルが枯れてしまった秋冬になってからロゼット葉を開き、まだ寒さが残る早春に花をつけ、種を飛ばし、飛ばし終わるとさっさと枯れてしまう。
 線路に生える雑草たちは、電車の車体の高さをきちんと測り、それより低い位置に花をつけ、電車の風圧を利用して種を飛ばす。
 大きくなりすぎた脳を持つヒト族は、それゆえにありもしない幻影を見たり、妄想に駆られて考えられない愚行を犯したりするが(実は私こそがそうなのだが)、雑草の賢い振る舞いを知るにつけ、ひょっとしてヒトよりは余程ましな存在なのではないかと思ってしまうのである。

 『雑草とは、不都合な植物、つまり欲しないところに生育する植物』・ブレンチレー
 『雑草は常に公平な審議を経ないでとがめられる植物』・キング
 聖書の書かれた時代には役に立たないと決めつけられた雑草も、時代が下れば、思わぬ薬効や使い途が発見されたりして、ひと言ではくくれないことがわかってくる。
 たとえば先に述べたドクムギだが、それ自体が毒を持っているわけではなく、体内に住み着いているエンドファイトという真菌類が毒を出しているのだが、このエンドファイトをゴルフ場の芝に感染させることにより、病虫害に対する耐性をつけさせて、農薬の使用量を減らすという取り組みが、実際に行われているのだ。
 『雑草とは、まだその有用性が発見されていない植物』
 というあたりが、むしろ公平な評価なのではあるまいか。
 もっとも、それもまたニンゲン目線すぎる定義であって、彼らにしてみれば「あんたたちの都合で生きてるわけじゃないよ」と言いたいところかもしれない。 
  N田さん

スミレ.jpg
スミレ。提供:「写真素材足成」(http://www.ashinari.com)

スミレのエライオソーム.jpg
スミレのエライオソーム。提供:「のこのこ このこ」(http://www.geocities.jp/noko_pla/elaio.html
エライオソームの解説をぜひ一読ください

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