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不許葷酒入山門 -アトリエN- [アトリエN]

 アサツキ・ニラ・ネギ・ニンニク・ラッキョウの五種の野菜は、五葷と呼ばれている。
五つの臭い食草という意味なのだが、仏教や道教や神道には、この五葷を口にしてはならないという戒律がある。修業の場が臭くなるという以上に、これらの野草がもたらす強壮作用が「気」を乱し、修業を妨げるということが大きな理由である。
 禅宗の寺の戒壇石には『不許葷酒入山門』という言葉が刻まれている。
 葷酒山門に入るを許さず・と読む。
 アサツキもニラもネギもニンニクもラッキョウも、そしてアギもギョウジャニンニクも、その臭いの元は硫化アリル(アリシン)である。この硫化アリルはビタミンB1の吸収を助け、血液をサラサラにして、疲労回復・強壮・抗がん作用があり、またアトピーやぜんそくにも卓効があると言われている。
 しかし、このあまりにも強い薬効作用があだとなって、心の静謐を乱してしまうらしい。
 要するにその強壮パワーが、あらぬ妄想を呼び覚ましてしまうのだ。
 神道の世界では、五葷について次のように言い伝えられている。
 アサツキを食べると、肺臓が傷つき、怒りが湧きあがる。
 ニラを食せば、肝臓が傷つき、哀しみを呼び起こす。
 ネギは腎臓を傷めて仁を追いやり、自己中心の心を招く。
 ニンニクは心臓を傷つけ、礼を滅し、楽を求める心を呼び覚ます。
 ラッキョウは脾臓に作用して、人間の心の奥に潜む、慾を露わにする。
 現代流行の西洋医学でないからといって、昔から神道の世界で伝えられてきたことが、全くの迷信であると決めつけることは出来ないのではあるまいか、と私は思う。
 閑話休題(ところで)。 
 『不許葷酒入山門』
 極め付きに自分に甘いワタクシは、とても修行の場に入ることは出来そうもない。
 が、しかし。
 「葷は許さず、酒は山門に入れ」と読み替えることが出来るならば、こんな私でもあるいは、と、淡い期待を抱いているのだ。
  N田さん

不許葷酒入山門.jpg
不許葷酒入山門

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井戸の茶碗 -アトリエN- [アトリエN]

 仲間内でも無類の正直者として知られている屑屋の清兵衛さん、曲がったことが大嫌いで、だから牛の角などを見るとムカムカしてくるほど。浪人者から預かった仏像を細川家の若侍に売ったことから、思わぬ騒動に巻き込まれてしまう。
 古典落語の大ネタ「井戸の茶碗」。
この井戸茶碗というのは高麗で庶民の食器として焼かれていたものを我が国の茶人が目に留め、高価な茶器(名物)にまつり上げたものなのだ(という説もある)。
 そもそも戦に明け暮れた戦国武将たちに器の目利きができるわけもなく、一部の茶人たちの言うがままであったと思われるから、中にはかなり法外な利をむさぼった宗匠もいたのだろう。
 「いい仕事してますねえ」と、ひとこと言えば、数百両が転がり込むというわけである。
 千利休の切腹事件もあるいはそこらあたりに原因の一つが?などと思ったりもするが、太閤となった後の豊臣秀吉は完全に狂っていたので、まともな理由などなく、むしろ下司の勘繰りというべきかもしれない。
 日本人は到来物に弱い。古くは漢字や孔孟思想、仏教や朱子学を受け入れ、いわば日本全体を唐土(もろこし)文化で染め上げた。
 それが明治以降になると、西欧文明が怒涛のごとく流入し、さらに第二次大戦後にはアメリカ文化の洪水である。
 よく日本人は島国根性で閉鎖的だとか云われるが、どうしてどうして、日本人ほど外来文化に対するこだわりのない民族も少ないのではあるまいか?古くは中国文明、そして近代では欧米文明が、我が国の国風を作り上げていて、日本オリジナルのものなど、どこにもないようにさえ見える。
 虎杖・蒲公英・満天星。順にイタドリ・タンポポ・ドウダンツツジと読むが、我が国には折角カナという便利なものがあるのに、わざわざ難解な漢字をあてて知識をひけらかしているのは、あまり感心できない。
 それがいまやアメリカ語を中心とした横文字が氾濫していて、現代では、横文字を使えなければ知性ある存在と認められないかのようだ。
 しかし、実のところは中国かぶれが欧米かぶれに替わっただけのことであって、ときどきは、そのあまりもの開放性に『ニッポン人・大丈夫かいな?』と心配になるぐらいである。
 ハルジオン・ヒメジョオン・アカミタンポポ・ヤセウツボ・オオイヌノフグリ・カラスノエンドウ・シロツメグサ・イモカタバミ・ショカツサイ・ヒメオドリコソウ・ナガミヒナゲシ・ワルナスビ・・・・・路傍で見られる帰化植物は、まだまだこんなものではない。人間がグローバルな経済活動をする限り、外来植物が流入するのは仕方のないことだろうが、わが国の場合、ちょっと度が過ぎているのではないかと思うのだ。
 世界中を探しても、これほど温暖で、きれいな水に恵まれ、しかも豊かな土壌を持つ国は珍しいのだから、外来物に対するこだわりの無い国民性も相まって、帰化植物にとって日本という国は、黄金のユートピアなのだろうか?
 それとも、それはうわべだけの現象であって、実のところは、ニッポンという草叢の中にすべてを引きずり込んで、ズブズブに国風化してしまう、緑の魔境なのだろうか?
  N田さん

茶碗.jpg
茶碗。提供:「写真素材足成」(http://www.ashinari.com)

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父と母の湖 -アトリエN- [アトリエN]

 スペイン王との契約により、インドのスパイスとジパングの黄金を求めて大西洋を渡ったクリストバル・デ・コロン(コロンブス)は、南北アメリカ大陸に行く手を阻まれて目的を果たせず、スペインの小さな町アリャドリードで失意のうちに55歳の生涯を終えた。
 彼にとってのもう一つの不幸は、彼の船団が到達した大陸のことをインドの一部であると終生信じていたために、『アメリカ』というその名前も、インドではなく未知の大陸であることを証明したポルトガルの冒険家、アメリゴ・ヴェスプッチの名から取って名付けられたことである。
 今日ではコロンブスの偉業を疑う人はいない。それは彼と、彼が開拓した大西洋航路を使って新大陸にやってきた白人たちがヨーロッパに持ち帰ったものによる、文化的衝撃の巨きさによるものと言えよう。
 旧大陸が新大陸にもたらしたもの、それは天然痘や結核やインフルエンザであり、徹底的な略奪であり、先住民インディヘナの大量虐殺と強姦であった。
 それに対して新大陸からの返礼は、ジャガイモ・トウモロコシ・インゲン・カボチャ・トマト・トウガラシ・タバコ・チョコレートの原料であるカカオ豆・ゴム・チクロ(チューインガムの原料)など、それに七面鳥と梅毒であった。最後の二つを除けばいずれもヨーロッパ社会を一変させ、世界史に大きな影響を与えたことは疑いないが、あまりにも釣り合いのとれない取引であったとは言えないだろうか。
 トウモロコシとジャガイモは世界の4大作物のうち二つを占めているし、タバコはあっという間に世界を席巻した。航空機は、ゴムなしでは離着陸ができない。
 コロンブスは新大陸の発見者であるという言い方は、最近ではあまりされない。それはサンタマリア号の400年も前に、ヴァイキングで知られる古代スカンジナビア人がニューファンドランド島に越冬基地を残していたことにもよるが、実はそれより何万年も前に、凍結したベーリング海をわたって、我々日本人の祖先でもあるモンゴロイドの一団が南北両アメリカ大陸に移住していたのである。
 そのため、東北アジアとアメリカには共通した言語が散見されるという。
 高度4000メートルのアンデス山地に広がるチチカカ湖は、文字通り『父と母の湖』であると、むかし気まぐれで習ったスペイン語の先生から聞いたことがある。
 トウガラシは原産地であるインカの言葉でアヒー(aji)というそうだが、はじめて口にしたモンゴロイドの舌にとっては、余程辛かったのに違いない。
  N田さん

コロンブス.jpg
イラスト提供:イラストAC https://www.ac-illust.com/

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「都会に花が・・・」 -アトリエN- [アトリエN]

 ドローンというのはミツバチのオスの事で、また「怠け者」という意味もあるそうだ。
 別に仕事が嫌いなわけではない。オスのミツバチというのは云ってみれば空飛ぶ精子ボンベなのであって、ほかの仕事をするようにはプログラムされていない。女王蜂とはいいながら統治行為をするわけではなく、一生涯をかけて産卵に明け暮れるだけの存在であることと対を為している。ミツバチにとっての繁殖期がやってくると女王蜂は数匹のあらたな女王蜂候補と、数百匹のオス蜂を産み出し、オス蜂どもは空の一角にむけて一斉に飛び立つ。そこには周辺のあらゆる巣から放たれた数万匹のオスどもが群がっており、そのオスバチ溜まりに処女の女王蜂候補が飛んでくると、オスどもは黒い雲のようになって、その尻を追いかける。
交尾に成功したオスバチはその場で息絶える。挿入器が体から抜けて、体液を失うのだ。
 交尾できなかったオスども(こちらの方が圧倒的に多い)は巣に舞い戻るが、すぐに叩き出される。いずれにせよ、交尾期が過ぎれば、用無しの存在として死ぬ定めなのである。
 働き蜂というのはすべて不妊のメスで、彼女らの仕事は、巣の補修、女王蜂や幼虫の世話、外敵との戦い、巣内の保温(体を高速で震わせて発熱する)、花粉や蜜集めなど多岐にわたるが、面白いことにそのキャリアは内勤からはじまり、外回りの仕事はベテランになってから割り当てられる。ベテランといっても一部の例外を除いて数週間の命しかない働き蜂のことだから、我々人間の感覚とはずいぶんに違う。
 「長い間ご苦労さん、外で息抜きでもしておいで」というわけではないようだ。
 紫外線を『色』として識別できるミツバチにとって、世界の景色はヒトの見るものとはまるで違っているという。賢くて花への当たりがソフトなミツバチは、顕花植物の最も大切なパートナーだから、紫外色をも駆使した花の模様は、主としてミツバチに向けたものと言ってよいだろう。
 さて、閑話休題(それはさておき)。
 風が吹けば桶屋が儲かる・という諺がある。
 強風が吹けば、砂が巻き上がって人の眼に入り、盲人が増える。
 盲人の生計を支えるツールとして、三味線が必要になる。
 三味線には猫の皮を使うので、猫が殺される。
 猫がいなくなると、ネズミが増える。
 ネズミは桶をかじる。
 だから、桶屋が儲かるという論法だが、前記項目の確率をそれぞれ一割として計算すると、0.1×0.1×0.1×0.1×0.1で0.00001ということになり、ほとんどありえないという結論になるし、そもそも現代日本において、桶屋さんという職業はいまや希少種なので、ピンとこない人が多いのではないだろうか?
 そこで「都会に花が増えればクリーニング屋が儲かる」という新たな諺を考えてみた。
 花にはミツバチがやってきて花粉をやりとりする。
 すると花は受精し、実をつける。
 実を食べるために、鳥が集まってくる。
 消化管の短い鳥は、飛びながら糞をする。
 都会には高価なスーツやドレスを着た人たちが歩いていて、そこに鳥の糞が落ちてくる。
 そこでクリーニング屋が儲かる・というものだが、このコトワザ、街のあらゆる歩道・あらゆる庭・あらゆる公園・そしてあらゆるビルの屋上が花で満たされていなければ成り立たず、ダメでしょうかね、やっぱり・・・。
  N田さん

ミツバチ.jpg
ミツバチ。提供:「写真素材足成」(http://www.ashinari.com)

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雑草とは -アトリエN- [アトリエN]

 聖書 創世記第一章には、神は人を創り、人のために植物や動物を創られたと書かれている。一神教であるキリスト教は砂漠で生まれた宗教だから、苛烈なところがあり、善と悪・敵と味方・有用か無用か・などを峻別しないではおかない。だから、ヒトのためにならない雑草は全く無意味な存在ということになる。すべては神が創ったとしながらも、ドクムギなどは夜中に悪魔が降りてきて畑に種を播くのだと、ご都合主義なところもある。
 日本人はそんな雑草にも価値を見出し、「あなたは雑草のような人だ」と言えば、ある意味で褒め言葉になるが、キリスト教文化の影響が色濃い欧米の人に向かってそんなことを言えば、相手は手ひどい侮辱としか受けとめないそうだ。
 『あなたは存在する価値のない人だ』と言っているに等しいからである。
 それはさておき、植物学のうえでは雑草というのは弱い存在とされている。
 光も水も養分もたっぷりとある土地には、いちはやく強い植物が繁茂し、いわゆる雑草の居場所はない。それゆえ、瓦礫だらけの痩せた土地や、雨の降らない砂漠や、小暗いじめじめした場所が雑草のすみかとなる。
 そんな不利な条件下で生きのびて、子孫を増やさざるをえない雑草たちは、さまざまに工夫をこらす。スミレは種子をエライオソームという甘いゼリー状の物質でくるみ、蟻に運ばせる。エライオソームを舐めつくした蟻はごみとなってしまった種子を巣の外に放り出し、そこが芽生えの場所となる。山野の花と思われがちなスミレだが、実は都会の舗道の割れ目や石垣の隙間などでよく見かけるのはその為である。
 車前草ともいわれるオオバコは、人や車の往来する道に葉を広げ、踏まれることによって靴やタイヤにくっついて分布を広げていく。
 ニホンタンポポはカヤや野菊のはびこる夏には地下でじっと身をひそめ、強力なライバルが枯れてしまった秋冬になってからロゼット葉を開き、まだ寒さが残る早春に花をつけ、種を飛ばし、飛ばし終わるとさっさと枯れてしまう。
 線路に生える雑草たちは、電車の車体の高さをきちんと測り、それより低い位置に花をつけ、電車の風圧を利用して種を飛ばす。
 大きくなりすぎた脳を持つヒト族は、それゆえにありもしない幻影を見たり、妄想に駆られて考えられない愚行を犯したりするが(実は私こそがそうなのだが)、雑草の賢い振る舞いを知るにつけ、ひょっとしてヒトよりは余程ましな存在なのではないかと思ってしまうのである。

 『雑草とは、不都合な植物、つまり欲しないところに生育する植物』・ブレンチレー
 『雑草は常に公平な審議を経ないでとがめられる植物』・キング
 聖書の書かれた時代には役に立たないと決めつけられた雑草も、時代が下れば、思わぬ薬効や使い途が発見されたりして、ひと言ではくくれないことがわかってくる。
 たとえば先に述べたドクムギだが、それ自体が毒を持っているわけではなく、体内に住み着いているエンドファイトという真菌類が毒を出しているのだが、このエンドファイトをゴルフ場の芝に感染させることにより、病虫害に対する耐性をつけさせて、農薬の使用量を減らすという取り組みが、実際に行われているのだ。
 『雑草とは、まだその有用性が発見されていない植物』
 というあたりが、むしろ公平な評価なのではあるまいか。
 もっとも、それもまたニンゲン目線すぎる定義であって、彼らにしてみれば「あんたたちの都合で生きてるわけじゃないよ」と言いたいところかもしれない。 
  N田さん

スミレ.jpg
スミレ。提供:「写真素材足成」(http://www.ashinari.com)

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スミレのエライオソーム。提供:「のこのこ このこ」(http://www.geocities.jp/noko_pla/elaio.html
エライオソームの解説をぜひ一読ください

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さくらのはなし -アトリエN- [アトリエN]

 古(いにしえ)、この国では山に棲む神を「サ」といい、「サ」は春になると里に降りてきて田の神となった。
 そこで、稲の苗は「サ」苗であり、田植えの月は「サ」月、田で働く若い娘は「サ」乙女で、その頃に降る雨のことを「サ」水垂(みだ)れと呼んだ。
 サの神が里に降りてきて腰かける木のことをサクラ「サの鞍・座」といい、昔は春に咲く花木全般のことをそう呼んだらしい。
 コブシやモクレンなどもサクラと呼んでいた時代があったそうなのである。
 世界中には百種ほどのサクラがあるが、日本にあるのは十種で、エドヒガン・オオシマザクラ・オオヤマザクラ・カンザクラ・カスミザクラ・タカネザクラ・チョウジザクラ・マメザクラ・ヤマザクラ・カンヒザクラである(何故カンヒザクラだけアイウエオ順を無視して最後に挙げたかというと、野性のカンヒザクラは石垣島にしか見られないからで、あるいはこれを除いて九種と考える方が正しいのかもしれない)。
 それぞれに変種もあり、交雑種もあるのですべての名を挙げるのは難しい。
 花弁が5枚というのが一般的な花の形だが、八重咲・百枚以上ものキク咲き、シダレ咲きもある。
 サクラといえばソメイヨシノのことと思われているムキもあるが、これは江戸の染井村(現代の豊島区駒込にあった)の植木職人がオオシマザクラとエドヒガンを掛け合わせてつくった栽培品種で、花びらの大きさと淡い色合いと、先に花だけが咲くその姿が人々に好まれて、あっという間に日本全国に広まっていった(残念ながら沖縄では育つことが出来ず、北海道では札幌が北限である)。
 ソメイヨシノとはいいながら、吉野桜とはなんの関係もない。この桜が作られた当時は、桜と言えば吉野桜という時代だったので、いわば箔付けのために、そのブランド名を借用したということであるらしい。
 すべてのソメイヨシノが接ぎ木で増殖されたクローンであるため、同じ地域では一斉に咲き、一斉に散る。ソメイヨシノは実をつけないといわれることもあるが、そんなことはない。ただし、すべてが同じ遺伝子を持つので、ソメイヨシノ同士で繁殖することはできない。近くに別種のサクラがあれば、その花粉を受けて実をつけるが、そうして出来たサクラは、もはや雑種である。
 なな山で当たり前に見られるヤマザクラが東京区部では絶滅に瀕しているということを、皆さんはご存じだろうか。
 ヤマザクラは光を好む『陽樹』で、人の手が入る里山は誠に好適な環境なのだが、薪炭の需要が減り、また開発が進んで里山そのものが減少し、あるいは管理放棄されたりして、その自生種としての存在が脅かされているというのだ。なな山のヤマザクラを守ることは我々が考えている以上に大切なことのようである。
  N田さん

ヤマザクラ.jpg
ヤマザクラ。提供:「写真素材足成」(http://www.ashinari.com)

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チューリップの嘆き -アトリエN- [アトリエN]

 1630年代のオランダでチューリップのバブルが起こった。裕福な商人たちの間に珍しいチューリップによる花壇作りが流行し、球根が高値で取引されることに目を付けた人々が市場に群がったのである。
 たった一個の球根に煉瓦職人の15年分の年収に匹敵する値がついたのは序の口として、最盛期には、たった一個で広大な屋敷やビール工場が買えるほどにも狂騰したという。
 当然のことながらバブルは弾け、金貸しから高利の金を借りてまで買いあさった球根の値は暴落した。
 夢の「球根」が一転して「困窮」のタネになったのである(ここ笑うとこ)。
 高値を呼んだ美しい模様を持つチューリップは、斑入りの花を咲かせる球根の一部を切り取って、別の球根に埋めこむという方法で作られたが、実はこの美しい模様は、モザイク病ウイルスという病原体に感染したものであったことが今日ではわかっている。
 春に花咲くチューリップのつぼみは前年の初夏にできる。春に咲くウメ・モモ・サクラなどの花木たちが地上で蕾を作りはじめる同じそのころに、土中で春咲きの球根類の蕾が生まれている。
 この球根は、冬の寒さを通過しなければ開花しないという特性を持っている(チューリップだけというわけではない)。
 可哀想だからと温室で冬を過ごさせては開花しないのだ。
 この性質を利用して、真冬にチューリップの花を咲かせようと考えた人々がいた。
 チューリップの球根を一定期間冷蔵庫に入れ、冬を体感させる。その後温室で育てることによって、真冬に花を咲かせることに成功したというわけだ。
 チューリップこそいい迷惑である。
 モザイク病に感染させられたり、冷蔵庫に入れられたり、ヒトという生き物は、他の生き物の都合などは一切考えない、強欲で厄介な存在であるようだ。
 チューリップは肉厚な緑の葉を空に向かって差し伸べているが、ひょっとしたらそれは光合成のためというよりも、『人間にはかなわないよ』という、お手上げポーズなのかもしれない。
  N田さん

チューリップ.jpg
チューリップ。提供:「写真素材足成」(http://www.ashinari.com)

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ブルームの憂鬱 -アトリエN- [アトリエN]

 T社とS社とJRの各路線を4度乗り継いで、片道1時間をかけながら仕事場に通っている。このごろは、日本の鉄道というものは、よくもまあ謝るものだなあ、とあきれることが多い。車両故障だ、電気系統のトラブルだと言って謝るのは、まあ仕方のないところだろうが、台風や大雪で電車が遅れたと言っては謝り、線路内に人が立ち入った・とか、急病人が発生した為に前の電車が停車したなどという、鉄道会社の責任とはいえないことが原因でダイヤが乱れても謝る。「ご迷惑をおかけしておりますことをおわびいたします。まことに申し訳ございません」という車内放送は、鉄道会社が違っても、判で押したように同じである。むやみなクレームの発生を抑えるためにとりあえず謝っておけ・ということなのだろうが、本気で申し訳ないと思っている感じはしない。
 キュウリやブドウの実は成熟してくると果実の表面に白い粉がふいてくる。ブルームと呼ばれるもので、雨水をはじき、病原菌の感染から身を守り、鮮度を保つという働きがある。ところが、その白い粉が農薬の残滓ではないかとか、カビがはえているのではないかという声が挙がって、スーパーの売り場などでは、ブルームのないキュウリに一斉に置き換わってしまった。
 わざわざ病気に弱い作物に替えてしまったわけで、バカな話だと思うし、ちゃんと説明したらどうなんだと面識のある農家のおじさんに訊いてみた。
 「そらあ、説明する方が大変だよ、野菜売り場で待ち構えて、一人一人に説明するのかい?スーパーの店員が一緒になってやってくれるわけでもなし、頑張ってみたところで、ブルームレスを納める生産者にあっさりとっ替えられて、終わりさ」と、おじさんは云う。
 「ブルームっていうのはケイ酸だからな。ケイ酸を吸い上げる力の弱い台木を見つけ出して接ぎ木すれば、簡単にブルームレスが作れるのさ。鉄道路線は気に入らないからって気軽にとっ替えはきかないけども、農産物はそうじゃないからな。それに、クレームをつける連中は理屈で説明してもダメなんだ。納得したいわけではなくて、文句を言うのが目的だったりするからな、そこに理屈を持ち出しても、なにを生意気な、って逆切れされるのがオチというもんだよ」
 「そういうものかねえ」
 「そういうものさ。闘っちゃいかん。大人の対応をするのが賢いやり方さ」
 おじさんはそう云うと後ろをふりむいて
 「なあそうだろ?」
 とハウスのキュウリたちに語りかけた。
 収穫前の青いキュウリたちは、なにもいわずにこうべを垂れているだけである。

 とりあえず謝る、とりあえず身をかわす。
 『大人の対応』がむしろ新たなクレームを呼び込んでしまうのではないかと思ったりもするが、だらしのないことに、もし当事者だったとしても、頑張り通す自信はない。
  N田さん

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キュウリ。提供:「写真素材足成」(http://www.ashinari.com)

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ベロニカ -アトリエN- [アトリエN]

 十字架を背負って刑場へ曳かれてゆくキリストに駆け寄り、ハンカチで額の汗を拭いてあげた一人の女性がいた。そのハンカチには後日キリストの顔が浮かび上がったという。
 女性の名前はベロニカといい、小さな花びらにキリストらしい人の顔が見えることから、その名で呼ばれるようになった野の花がある。
 わが国では一般にオオイヌノフグリという名で知られているヨーロッパ原産の帰化植物である。日本にやってきたのは明治時代だが、昔からこの国にいた「イヌノフグリ」の生息域をいつの間にか奪ってしまった。もっとも、在来種の衰退を外来種のせいにするのは間違いで、多くの場合、人間の活動による生息環境の攪乱が根本原因であるらしい。
 フグリとは陰嚢の事で、実の形がうしろから見た犬のキ○○マに似ていることから、そう呼ばれている。
 花びらの模様は、蜜が花の中央にあるよ・と、ハチやアブに示すサインだというが、どんなにためつすがめつ見ても、キリストの顔どころか人の顔にすら見えないのは、私に信仰心がないからなのだろうか?
 オオイヌノフグリの花は揺れやすく、ハチやアブは振り落とされないように懸命にしがみつく。そのしがみつきやすい場所に雄しべと雌しべが配置されていて、夢中でもがくハチの体に花粉がくっつくというしかけになっている。
 早春に咲く青い小さな花は、よく見ると結構美しい。星の瞳とかキャッツアイとか呼ばれることもあり、フグリではあんまりだと、瑠璃唐草だとか天人唐草だとかの呼び名も考えられたが、定着はしていない。
 花言葉は「春の喜び」「信頼」「神聖」そして「清らか」。
 フグリなのに清らかとはこれいかに、と思ってしまうが、陰嚢だろうが、その前に配置されているスティックだろうが、神の創りたまいし生き物の器官はすべて神聖にして清浄なものということなのだろうか?
 ハチやアブによる受粉が成功しなくとも、オオイヌノフグリは困らない、最後には自家受粉という奥の手があるのだ。というよりは、主に自家受粉で結実する植物であるらしい。
 細く揺れやすい花茎でグリングリンと虫どもを振り回すオオイヌノフグリ。實は繁殖のためではなく、まだ寒い早春の一日を、そうやって虫と一緒に遊んでいるのかもしれない。
 賢い草花のこと、それも大いに有りかも知れないと、近頃は思っている私であります。
  N田さん

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ベロニカ(ペドゥンクラリス、這い性)。提供:「写真素材足成」(http://www.ashinari.com)

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フグリ

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「ワールドワイドウェブ」 -アトリエN- [アトリエN]

 リンゴ・モモ・カキ・ミカンなどの木になる果物は、中の種子が成熟してくると赤色系に色づき『さあ、甘いよ・食べごろだよ』と呼びかける。赤色の波長は長いので、遠くまで届くし、緑を背景にすると更によく目立つ。
 彼らがサインを発する相手は、実は鳥である。
 哺乳動物は歯を持っているので、まかり間違えば大切な種子さえバリバリと噛み砕きかねないし、鳥のように遠くまで移動することはできない。
 果実は他のいきものに食べられるために熟するのではなく、自らの種子を広範囲にばらまいて欲しいのである。その為には遠くまで飛ぶことができ、歯も持たず、消化管の短い鳥に食べてもらいたいのだ。
 それに多くの哺乳動物は赤い色を認識することが出来ない。赤い色を認識できるのは、人を含めた類人猿ぐらいであるそうだ。
 トウガラシも赤く色づく。完熟したトウガラシの赤も、鳥へのサインである。赤く色づいたトウガラシが甘くなることはなく、未熟なものよりもむしろ辛くなるが、多くの鳥は辛味を感じないそうである。
 現実の世界にアンパンマンは存在しない。
 他の生物に体の一部を提供するのは、自分の子孫を地上にばらまきたいからなのだ。
 だから、自分の意思に反してむやみに食べられたくない植物は、トゲや毒で武装したり、イネ科植物のようにガラス質の物質で葉や茎の表面をコーティングしたりする。
 また、毒とは言えないまでも苦味や辛味の成分、タンニンのように渋みを感じさせたり消化を阻害する、いわば『いやがらせ物質』で身を守る。コーヒーや茶のカフェイン・生姜のシンゲロール・ワサビのシニグリン・成熟手前のゴーヤが持つククルビタシンなども、虫や動物の食害から身を守るいやがらせ物質なのである。
 ところが、そのいやがらせをまるで受けつけない生き物がいる。いわずとしれた人間である。
 コーヒーを一日に何杯もがぶ飲みし、タバコのニコチンに耽溺し、未熟なピーマンの苦みに舌鼓を打ち、強烈な毒成分を持つワサビさえも、わざわざ田で栽培したりする。植物としてはたまったものではない。
 が、しかし、やられっぱなしにならないのが植物のえらいところである。
 歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリは《サピエンス全史》という著書のなかで、「小麦は人類を使って自らを世界中に広めた」と述べているが、ヒトを利用しているのは小麦だけではない。
 ヒトの持つ圧倒的な輸送力(それはとても鳥などの及ぶところではない)を利用してタバコもジャガイモもコーヒーも地球上に分布を広めた。
 家畜の飼料に紛れ込んだ雑草の種が、ある日突然に、遠く離れた別の大陸の平原に大群落を作ったりもする。
 したたかで賢い植物たちは、究極の移送手段を人類に見出したようである。
 近い将来には、自らの翼としてウェブすら利用し始めるかも知れない。
 どんな手をを使って?
 さあ、そこまでは私にもわからネット。
  N田さん

リンゴの木.jpg
リンゴの木。提供:「写真素材足成」(http://www.ashinari.com)

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